今回は、人によっては嫌がられる話題、学歴コンプレックスの話です。
男性では、個人的に私は多いんじゃないかと思いますが、この学歴コンプレックスの本質から克服の仕方まで、今回は解説いたします。
目次
1.学歴を気にしている人の特徴
男性と女性との比較では、学歴に対して圧倒的にコンプレックスを抱いているのが男性の方でしょう。
やはり、「頭がいいとモテる」とか「馬鹿と言われたくない」という、体裁や異性の視線や、対面上の問題が多いからです。
下手に高学歴の集まりの中に、低学歴であろう自分がその場にいたとして、話題が合わないような場面に遭遇したと想像すれば、男性の誰もがちょっと心も穏やかでは無いですよね。
さて、『学歴を気にする人の特徴』、こちらの方は、言い換えると『世の中は学歴が全てだ』と本心ではそう思う人が、様々な場面でよく言う言葉を取り上げると、なんとなくそれを察する事が出来ます。
・『学歴なんて関係ないよね?』
出身校を自分から尋ねてきた時や、大卒などの自分よりも高学歴の男性が目の前で自己紹介した場合に、よく使われるフレーズです。
よく考えれば、学歴を持って就職できたかどうかは、本人と会社の事情ですし、人事担当が、果たして学歴を優先するなら、その会社には低学歴の社員は一人もいないはずです。
わざわざ聞いたところで意味のないこうした言葉は、言ってる本人が『世の中は学歴が大きく影響している』となんとなく気がついているため、不安から同調を要求しているようなものです。
・『一生勉強だ』
これもいわゆる低学歴だと自虐的に言う方が、頻繁に使いたがるフレーズです。
要するに、受験や講義と違って、『世の中は弟子や師匠や、先輩後輩といった序列があって、自分はまだまだ』という理由をこじつけて、知性についての議論を避けている、話題を逸しているというだけです。
どの分野でも得意な事業や立場、やり甲斐や目的があって成り立っていますから、大学でもそれぞれ”科”によって分かれますし、医者を目指す人が、旋盤技術を学ぶ意味はないでしょう。
口にするだけ、自分はあんまり頭が良くないと自白しているようなものです。
その目的が自分では把握できないから、理解に一生かかってしまうのでしょうね。
”先人たちから学ぶ”も似たようなフレーズです。先人がいなければ、そもそも人間がいませんから、勉強も全て過去の事例を基にして学んでいる結果に過ぎません。
過去がすごいんじゃなく、その過去があるから現代が存在しているというだけですよね。
基本的な事として、自分が知らないことや、自分がまだ理解していない事を、親切に教えてくれたり、アドバイスしてくれるなら、それは有り難いし、本来感謝するものです。
それを『誰もが同じだ』と言い切ってしまうところに、学歴を気にしていないようで、本質的に劣等感、コンプレックスと不毛に格闘しているわけです。
この時点でもはや一流ではないでしょう。
2.学歴そのものを過信している人達
男性のコンプレックスは、本質的に同性・異性から投げかけられた、不用意な何気ない一言から、それが頭から離れず、場合によって生涯に渡った悩みとなります。
”コンプレックスは自分以外の人から植え付けられる”といった、固定観念の押し付けですから、これがなかなか厄介ですよね。
私も自分自身は人嫌いなんですが、他人から『優しい』と不本意なレッテルを貼られる事がしばしばあります。
自分中心ではないことは多々あるものの、他人に同情する事はまずありませんし、テレビドラマも映画も『どうせ作り物』と、かなり冷めた眼で見る性格です。
学歴コンプレックスも同様で、大学へ進学しせずに就職したり、自活、自立して個人事業や会社を設立すると、『自分でもやれるから、他も同じはず』という、努力すれば勉強できなくても大丈夫だという極論に至る人たちがいます。
しかしですね、私も受験の経験があり、大学へ進学した者ですが、『努力は報われるというのは思い込みで、失敗の方が多い』事を充分理解しています。
そもそも他人が作った問題や課題ですから、それを解いたり、克服して乗り越える間には、間違いや失敗、努力で補えないことが山ほど、感じるものです。
『勉強はダメだったけど努力で頑張った』という事と、『勉強と努力で成功した』というのは、努力の側面ではどちらも同じなのです。
学歴コンプレックスのある意味”勘違い”とは、勉強も、それ以外の生活や自立は、共に自分が思う以上の努力が必要であり、その結果、上手くいくかどうかは、誰にもわからないのです。
人間には未来の予測は不可能ですからね。
3.学歴コンプレックスの克服法
学歴コンプレックスの克服法は、”学歴を気にするな”ではなく、”学べる機会はいつでもある”と思い込むことですね。
旋盤技術があっても就職に役立つかどうか、それが高収入につながるかは、世の中でそれを必要とされる度合いで異なります。
しかしながら、高い旋盤技術を使ってちょっとした趣味を動画で撮影して、YouTuberとして活動するなら、これもまた技術を活かしていると言えるのです。
頭が悪いと自覚していても、夢中になる何かで人とコミュニケーションを通じ、それが、やがて仕事に変わるチャンスが訪れる人もいますよね。
逆に現在成功者として話題になっている人が、今後20年後にその姿をメディアで見られるか?といえば、私は何の保証も確証も無いだろうと思います。
その上で、くよくよ悩むなら、今したいこと、やりたいことがあって、その障害と格闘しているとか、どうすればそれを実現できるかの方を、懸命に悩んでいる方が幸福ではないでしょうか?
他人がどうこう、それに文句を言うことは出来ないはずです。
4.頭が良いと賢いとは違う?
一応、敢えて申し上げると世の中には『秀才だが頭が悪い人』は一定数存在します。
課題やテーマを人から与えられ、クイズのように回答して答えを言えるけれど、知識を通じてそれをどう活かし、役立てて行くかについては、ほとんど能力を持ち合わせていない人です。
空を見て、窒素や酸素の量や大気について、どんなに博識だろうと、ロケット技術がなければ宇宙へは行けません。
また空を飛ぶ技術があったからと、それが経営手法を合わせた航空技術になるかどうかは、やっぱり別の話だと言えるでしょう。
”賢い人”というのは、同じ道具、同じ技術でありながら、それを様々な知識と経験で、自分と他者に役立つ事を実践して出来る可能性がある人のことです。
一つだけ能力が突飛にずば抜けているのではありません。暗記、記憶力以上に、体で覚えた技術で成りっている職業も多いからです。
男性の学歴コンプレックスを克服するには、最低でも、自分が夢中になってそれこそ時間を忘れるほどの”何か”を掴むか、そのチャンスを逃さないように、人との出会い、それぞれ人の立場と役割をよく理解しておく必要があるでしょう。
5.学歴が影響する社会
最近では、世界的大企業、いわゆるグローバル企業の多くが学歴を基準とした、一律採用を廃止しています。これは”一点豪華主義は通用しない”という世の中になっているという現れです。
一芸に秀でていようが、それでは足りないというわけです。これは全ての業界で、不況の時によくわかります。
学歴が関係ないとか、自分の能力次第で上に登れるというフレーズに頼っている会社や事業は、たまたまその時勢、つまり流行や風俗といった世の中の流れに乗れば、それなりに上手くいくことはあります。
ところが、こういったグローバルな考えの基に、大きな事業を成し遂げる場合は、流行や風俗といった世の中の流れを『作る立場』となるからです。
時勢に合わせて流され生きていくのと、その世の中を作り上げてしまう存在の違いは、計り知れないほど大きなものがあります。
学歴コンプレックスをバネに、今や大きく羽ばたける時代ではありません。
貪欲に様々な技術や知識を今でも吸収しながら、時には謙虚に、時には”賢く”世の中を生きる方が、最後は勝者となるのかもしれませんね。
まとめ
最後に、結論として『学歴コンプレックスは、最も悩みとしては微細なもの』ということが言えますね。
大卒だろうが、高卒だろうが、人の知識や経験はそれぞれ異なり、勤勉な努力家はそれに関係なく、世界中にいるからです。中には本当に無学から創業者になる人もいます。
そういう意味では、チェレンジする心があれば、そんなレッテルなど意味のないことかもしれませんね。